初めて触ったパソコンは父の NEC PC-8001 であった。これにインベーダーゲームを打ち込んで遊んだりしたが、当時はそれほど積極的には使おうとしていなかった。
その後、PC-9801F2 に買い換え、「松」(何と単漢字変換!!)を使ったり、電算機演習のレポート用に MS-FORTRAN なんかをいじったりしていた。
大学の卒研の時は、カノープスの A/D コンバータから 98 に取り込んだデータを処理するため、n88-Basic でプログラムを組み(エディタはその当時 MIFES が主流であったが、私はへそ曲がりに FINAL を使っていた^_^;)、一太郎 Ver.3で卒論を書いた。
フリーウェアの存在を知ったのはこの頃。
NEC の閉鎖的な姿勢(EPSON プロテクトや NEC SCSI)が嫌いで、就職して自分のパソコンとして買ったのは EPSON の PC-286VE だった。
出たばかりの Vz Editor の評価記事で常駐機能やファイラー機能があることを知り、即購入。当時画期的なフリーの FEP として人気の高かった WXP との組み合わせで使用するようになった。
アニメ「ラムネ&40」の眼鏡っ娘キャラ・ココアに萌え、COCOA語-DOS コンストラクション・キットを作成したりしたが、MS-DOS 3.30cなんてさすがにもう使っている人はいなかろう…。
その後、286VE の CPU 載せ換え→ 中古の PC-486GR 購入→ CPU 換装とグレードアップを重ねたが、その頃、DOS/V の登場で脚光を浴びだした PC/AT 互換機のオープン性に引かれ、道を踏み外すことに(^_^;)なる。
最初に買ったのはロビン電子扱いの DTK の i486DX-33 マシンであった。
AT 互換機の利点は、オープンアーキテクチャ故、いろいろなパーツが安く手に入るという点に尽きる。が、そのため、頻繁にあちこち買い替えたりするので、結果としては高くついているのかもしれない(累計でいくら使ったかなんて、恐くて計算できない^_^;)。
割と早期に AT互換機に乗り換えたので、(特にDOS版の)画像ヴュアーの類が無く、「無いものは自分で作る」Do it yourself! の精神に則り、Djgpp, Tcc を使って PIC, JPEG, PI ローダーなどの移植などを行い、ET4000/W32 用の VESA True Color ドライバなども作成した(当時の仕事の一部は Vector Software PACK に収録されている)。
ちなみに、現在までのハードウェアの変遷はこんな感じ。
Mother Board | CPU |
---|---|
EPSON PC-286VE | 80286 → Cyrix 486SLC |
EPSON 286noteF | V30 |
EPSON PC-486GF | i486DX-16 → i486DX-33 |
DTK → メーカー不明ISA | i486DX-33 |
メーカー不明 US3486 | Cyrix 486DLC-33 + CHIPS SuperMATH-33 |
メーカー不明 486SCSL | i486DX2-66 → i486DX-25(33Mhz駆動) |
GIGABYTE GA-486VF | Cyrix 5x86-100GP |
ASUSTek PVI-486SP3 | AMD AM5x86-P75(160Mhz駆動) |
Olivetti ECHOS 20c | i486SX33SLE |
Iwill P54TSW → LS-P54CE(P55-IT) | Pentium100 |
MSI MS-5139 → GIGABYTE GA-586HX | Pentium166 |
GIGABYTE GA-586HX | AMD K6-200 |
SOYO SY-6BA+ | Celeron 300A(450Mhz駆動) |
GIGABYTE GA-71XE4 | AMD Duron 600MHz |
EPSON DIRECT EDi Cube Note NC821 | Mobile Celeron 800MHz |
GIGABYTE GA-7VTXH | AMD AthlonXP 1800+ |
IBM Think Pad T42 | |
HP Pavilion Elite e9190jp | Intel Core i7 950 |
一応、Mac Plus as 『マッキン水槽』 のオーナーでもあったので…(^_^;)。
卒研の時、研究室にキヤノンが Mac Plus を一月ほどモニターに置いて行ったが、たいしたアプリも入ってない状態でどーせえっての?当時はとても学生に手の出せる値段ではなかったし、あまり魅力を感じなかった(デザイン的にはキュートではあったが…)。
その後、職場でグラフ作成などに Mac II などを使っていたが(プレ資料の作成には富士ゼロックスの J-Star をメインに使っていたが)、今は職場は Windows機で統一されて久しい。